金子家文書

白石友治氏による「金子備後守元宅」の四六頁からの「六、金子文書と其の考証」を中心に紹介されている「金子家文書」を読み解き、周辺史実と比考しながら独自に時系列を組み直し、考察を行うことで、金子元宅の人物像に迫りたい。

金子家文書の時系列(独自考察)

各文書には、それが書かれた年が記されていないものが多い。

 

起請文のように現代の契約書に当たる文書には年から記され、現況の確認などの個別の手紙のやり取りには年が記されることが少ないのは違和感のないことであるが、

年の記載の無い文書に、「金子備後守元宅」や「愛媛県史資料編」「愛媛県編年史」がそれぞれ想像した年が記されているものには明らかな間違いも散見される。

これも、年々新たな周辺一次史料が発見され、研究や情報公開が進むことで、当時は不明であった周辺事情も明らかになり、比考の精度も高まることから、致し方ないことである。

 

ここでは私の独自考察による各文書の時系列の組み直しを行い、各文書の書かれた年を明らかにした上で、文書に書かれた内容に関しても独自考察を行っていきたい。

No.表記年月日 独自考察年 差出人 宛名 文書概要
1.天正九年七月廿三日  同左 長宗我部元親 金子元宅 起請文
2.十二月十九日 天正十年 小早川隆景 金子元宅 藝豫側と土州との仲立ち要請等
3.十二月十九日 天正十年 井上彌四郎景敬 金子元宅 彌四郎が金子-藝州間の窓口担当
4.正月十七日 天正十一年 長宗我部元親 金子元宅 昨年末藝州書状共有の礼と情報共有
5.十二月廿日 天正十一年 香中信景 金子元宅 香川親和入城と備前境目・藝羽入魂
6.十二月廿日 天正十一年 香川五郎次郎 金子元宅 入城祝い返礼と元親豫土入魂専一
7.十二月廿日 天正十一年 吉五貞堯 金子元宅 藝州備中境目羽筑相渡と元親豫土入魂
8.正月十五日 天正十二年 長宗我部元親 金子元宅 昨年春藝州へ音問も周辺緊張高まる
9.天正十二年七月十九日 同左 久武彦七親直 金子元宅 起請文
10.七月十九日 天正十二年 久武彦七 金子元宅 起請文/御神書の件と讃岐東方出兵依頼
11.八月十八日 天正十二年 長宗我部元親 金子元宅 周辺情報収集依頼と喜多郡戦況報告
12.八月十八日 天正十二年 瀧本寺榮音 金子元宅 阿波讃岐戦線→伊予戦線への覚悟
13.九月一日 天正十二年 瀧本寺榮音 金子元宅 河野通直帰国情報共有に対する返報
14.九月三日 天正十二年 長宗我部元親 金子元宅 上記藝豫会合情報と人質替えへの返礼
15.九月十五日 天正十二年 長宗我部元親 金子元宅 三間深田戦勝報告と対藝豫警戒依頼
16.十一月四日 天正十二年 長宗我部元親 金子元宅 彼表領知の取り決めの意向
17.十一月四日 天正十二年 元親・信親 金子元宅 御子息始末の件、対周敷家郡中後盾
18.十二月十四日 天正十二年 中輿一兵/瀧本寺 金子元宅 度々音信返礼・元親意向伝達各表の件
19.天正十二年十二月十四日 同左

桑瀬源七郎・通宗/

彌介・孫七郎

金子元宅 元宅の知らぬ者を匿わない約束
20.五月十八/廿六日 天正十三年

元宅⇔元親

※覚書 領知ならびに子と忰家の引立て保証
21.六月十一日 天正十三年 金子元宅 毘沙壽丸 金子元宅遺言状

※2024.8.5修正(4.5.6.→5.6.7)

金子家文書を解読する上で、土佐 長宗我部と金子との2者間のやり取りとしてのみ読むと解釈を誤ってしまう。

この一連の金子家文書のやり取りを読み解く上で、上方ならびに周辺の情勢、特に戦国時代の歴史の流れの主流に対する傍流としての位置付けで解読する必要がある。

 

そこで、上の独自考察を各文書毎に、其背景となる時代の主流的出来事に比考すべく、以下のように項を分けて独自考察していきたい。